或る零戦乗りの2年間

 飛行機の操縦で事故を起こしたり、敵にやられたりするのが、一番多いのは、操縦搭乗時間が零戦の場合、約300時間から400時間と云われていた。
 それは少し操縦に自信が出てきて天狗になりかかった時期が、これくらいの搭乗時間を経験した頃と言われていたからである。
 それでベテランの先輩から「慣れ」と「狎れ」とは違うんだと、よく注意され。  立心遍の「慣れ」はよいが、獣偏の「狎れ」は駄目だと、最初はその意味が判らなかったが、これがなかなか含蓄のある言葉で、一寸した気持ちの持ち方の機微がこの言葉の違いにあり、常に頭に置く様に努めた。
 「慣れ」とは熟練する、即ち操縦することに「心、技、体」の三位一体のバランスがとれて高度に習熟すると云うニュアンスがあり、「狎れ」には親しんで軽んずると云う意味がある。  即ち操縦するのに初めの頃は慎重に行っていたが、搭乗時間がやや多くなると冒険心と云うか少し無茶な操縦をしたり、敵と遭遇して深追いし過ぎたりして失敗したりする。
 慢心して俗に云うナメてかかる状態をさすニュアンスがあり、このニュアンスの違いが大事で、場合によっては一命を失うか助かるかの運命を左右する結果ともなる。  その一例として自分の経験の一つを紹介する。
 谷田部空におけるある日のこと四機編隊による急旋回や失速反転や宙返りなどを、H中尉を一番機で私が二番機で三番機に上飛曹、四番機に一飛曹が操縦して訓練していた時のことである。
 一番機のH中尉は兵学校の出身で実用機教程を終えて2~3ケ月位経った飛行時間も200時間をやっと越える位と思われたが、兵学校時代の成績も良かった様で数人の同期の者よりハンモック番号が最右翼で隊長からも目を掛けられていた。
 三番機の上飛曹は飛行時間も多くベテランの域であり、私は400時間位であったろうか、一飛曹が私より少し経験が少ない位の飛行経験で、いずれにせよ一番機のH中尉が飛行経験が一番少なかった。
 一番機は編隊の長として編隊を引張るので、その動作は単独で行動する時よりセーブして、ゆるやかな動作をしないと、付いて行く列機は付いて行けなくなり、編隊が乱れ列機が苦労するばかりであり、一番機の信頼性にも影響するのである。
 その日の飛行隊長のF隊長はH中尉に一番機としての訓練を期待して搭乗割を組んで我々の編隊の空中動作を見ておられ、また同僚も地上から編隊の成果を眺めて参考にするものであった。その日も色々な動作をこなし、最後に近くなり、何を思ったかH中尉は編隊を飛行場の上空に持ってきて、スローロールに急に入ったのである。
 編隊はたまらない。スローロールに入るなら入るで、ゆっくりと味噌を摺る様に回らないと付いていけるものではない。
 私も背面の状態から付いていけず、背骨がメリメリと云う位に力一杯引き起こして事なきを得たが、列機の一飛曹の機は格納庫すれすれまで降下してやっと引き起こすことができ、三番機の上飛曹機も相当下まで降下して引き起こし幸い事無きを得た。着陸後H中尉はF飛行長から酷く怒られると共に鉄拳の制裁を三~四発食らった事は申すまでもまく、その後自分もH中尉とペアで編隊を組んだ記憶がない。
 これもH中尉の「狎れ」と見栄に起因するものであると言える。