或る零戦乗りの2年間

 私は実弾射撃の曳的機で吹流しを引張った時に、97式艦上攻撃機を操縦したこと以外は、終始零戦の搭乗員として過ごした。そのため「雷電」や「紫電」については搭乗経験はない。
 昭和19年11月以降、航空母艦が殆ど無くなり、機動部隊が解散した後は、零戦は、攻撃機や爆撃機等の護衛と敵戦闘機との格闘や侵攻してくる敵攻撃機や爆撃機に対する迎撃を行うことを主な目的で使用されていた。すなわち零戦は守りのための飛行機即ちディフェンスの飛行機となった。
 其の名の示す通り艦上から発進し艦上に帰還する機能や旋回性能、航続距離のアップなど、「雷電」、「紫電」より優れた機能をもっていたが、当初より局地戦闘機として開発された「雷電」、「紫電」には最高速度や上昇速度,機銃兵装の面で劣っていた。
 昭和19年11月に入り、マリアナ諸島が米軍の手に落ちてから日本本土特に東京地区のB-29による攻撃は激しくなり、この迎撃には迅速に高度をとる必要があり、そのためには上昇角度が大きくとれて速度が速いことが望まれ、この点「雷電」は優れていて、火器も20粍砲を四基そなえていて一降下一攻撃を行うには適していた。  但し、寸胴で翼が短く胴体でも浮力を保つ様に工夫されていて、速度が落ちると失速し易い欠点があり、着陸時バンクを取りすぎて失速事故をよく起こしていた。
 「紫電」はこの「雷電」の欠点を充分カバ-し、敵のP-51にも充分対抗できる優秀な戦闘機であり、「紫電」の登場で「雷電」は影が薄くなった。私の同期ではあまり「雷電」の経験者はいないと思うが「紫電」の経験者は相当いる。
 私は零戦オンリ-で「雷電隊」や「紫電隊」の辞令を貰わなかったが、岩国基地や谷田部空で零戦の訓練の合間をみては、地上でこの両機には乗り何時でも命令があれば搭乗できる様にと勉強したものである。