或る零戦乗りの2年間

 ここで、混乱時代と名を付けたのは、当時はその様に感じ無かったが、後で振り返ると、海軍の上層部も随分混乱していたと想われるからである。
 私は故郷の熊本へ今度帰る時は白木の箱に入っての事だろうと思い、一日余裕を貰って、祖母、父母、兄弟に別れを告げるべく、故郷を訪ねてから、谷田部空に行く事として故郷に帰った。  帰ってみたら、祖母は亡くなっていて会えなかった。祖母の死を知らせなかったのは心配を掛けまいとの親心であった。
 なお、家路を急いでいるとき、小学校の時の兄の担任で、私のこともよく知って居られた先生に会い、ご挨拶の立ち話で、「今度勤務地が代わるので、暇を作って家族に会いに来ました。」と申し上げたら、先生が「勤務地は何処か」と尋ねられたが、応えずに別れた。  また、入隊時に色々お世話になった役場にも帰路の途中の道路脇に在るので立ち寄って挨拶した。
 家族とゆっくり話が出来る時間もなく、手短に近況を聞いたり、話したりして、早々に家族に別れを告げ、谷田部空へ赴任すべく故郷を後にした。  この事が後に、私が村で二番目の軍神になるとの噂を呼ぶ事になろうとは知る由もなかった。
 私と同僚の二人はとは、上野駅で落ち合う約束でその予定で時間を計画していたが、丁度その時、東海地方に大きな地震があり、東海道線が不通となってしまった。名古屋より中央線回りで東京に入ったので、上野到着が遅れて、他の二人の同僚に心配をかけたが、予定の日に 谷田部空に着く時間は充分あり、常磐線の牛久から迎えの軽三輪の荷台に乗り、谷田部空に着いた。
 着任の申告をして、その日は、士官食堂(ここは上級士官や妻帯下級士官の食堂であり、普通は我々クラスは士官次室食堂で食事をする。)でご馳走になり、何となく、実施部隊の雰囲気と異なる気配を感じて一夜を明かした。  ところが、翌日、貴様らは、谷田部に配属されたのではなく、山形の神町空に行く様に云われ、神町空に翌日行くことになる。
 その理由は谷田部空に居た練習機部隊が数日前に、神町空に移転したところであり、貴様等はそちらに配属になったと思われるので、神町空に行くのが正確だとの事であった。 ところが、これも間違いで、神町空で半月も過ごした後、再び、谷田部空に帰る事となる。