或る零戦乗りの2年間


 昭和19年10月下旬、母艦「龍鳳」に一泊した翌日、快晴ではないが、天気はまずまずの中、紀伊水道沖に停泊していた「龍鳳」は定刻になると、洋上に出て訓練海域に達し、いよいよ始まる離着艦に備えた。
 我々見学者は甲板サイドやや中央の艦橋に上がり手摺りに掴まり、身を乗りだす様にして、見学の位置につき、今か遅しと、離発艦の実技の始まるのを待っていた。
 艦は次第に風に向かって速力を上げる。  これは飛行機は浮力に必要な対気速度を保ちながら、母艦を追いかけて、着艦するので、飛行機と母艦との相対速度は飛行機の速度から母艦の速度と風速を引いたものとなり、着艦時の甲板に接触するショックを減少させると共に、離艦時の走行距離を短くして早く飛行機に浮力を付けるための処置である。
 風速が仮に毎秒10m吹いていて、艦の速度が仮に20ノットで進んでいるとすれば、艦上では風速が毎秒約20m位の風が生じていていることになる。
 艦橋の外や甲板では何かにすがるか、低い姿勢で余程踏ん張っていないと、飛ばされてしまいそうになる。  勿論、帽子など顎紐を固く締めないと飛ばされてしまう。
 当日の「龍鳳」の艦上もその様な状態であり、また、飛行甲板の模様はと云うと、舳先の中央に着艦目標の白い蒸気が吹きでていて、艫には、甲板の端を示すマークが縞馬模様に描かれいて、それより、数mのところから、着艦時に飛行機の後尾から下がるフックを引き掛けて停止するためのワイヤー4本が甲板を横切って等間隔に張られていて、これは着艦時の衝撃を緩和するために油圧で伸縮する様になっていた。
 また、艦の左舷には、地上での定着板の代わりに赤と青のランプが数個ずつ前後して設置されていた。  尚、艦橋の中央には、万一フックがワイヤーに掛からずに着艦できなかった時に遣り直す場合の目安として、太い白線が引かれていた。  この様な状態で待って居ると、遥か彼方に機影が見えてきた。三機編隊の零戦である。
 編隊はみるみる近づくと、艦上空をすれすれに、通過して編隊を解き、一番機は直ぐに左旋回に入り、第二旋回の後、前輪を出し、フックを下げ、フラップを降ろし、第三旋回、第四旋回と回り込みながら機体を沈め、母艦を追いかけて降下角度に着いた。
 左右にバンクし、軸線を合わせながらの接艦である。徐々に甲板に近づき、艦尾をかわると、機首を起こし、機体が沈む様にみえた瞬間、機体後尾のフックが二番目のワイヤーに懸かり、ワイヤーは飛行機に引き張られながら伸び、飛行機もピヨンとお尻を上げたかと思うと停止した。見事な着艦である。
 着艦と同時に、整備員が駆け寄りワイヤーからフックをはずし、合図してワイヤーを元に戻し、飛行機はフックを巻き上げて、再びエンジンを吹かし、甲板上を滑走し舳先から離艦して行った。  この着艦して離艦するまでの時間は、ほんの二、三分程の時間であった。
 この間待機していた二番機は一番機が離艦した時に、一番機が行った様に、前輪を出し、フックを下げ、フラップを降ろし、第四旋回に入っていた。二番機も一番機同様見事な着艦を行って離艦し、それまで待機の三番機も、勿論一、二番機同様の操作をして、二番機が離艦した時には、すでに着艦体勢に入り、これも見事な着離艦を行なった。 三機一回ずつの着離艦であったが、百聞は一見にしかずで、大いに勉強になった見学であった。
 その他、講議や先輩の話では、海は静かな時ばかりではなく、風波が高く、甲板の上下があり、艦尾をかわす際、かわしきれずに艦尾に激突したり、着艦後、フックの巻き上げなどの操作をしている隙にエンジンを絞り過ぎていると、前方からの風に押されて飛行機を横向きにバツクさせられて、甲板から海中に転落したり、訓練中の事故も多いとのことであった。
 また、平時は着艦後逐次リフトで格納するが、実戦、特に急速収容の場合は着艦した飛行機を次々に艦首に貯めるので着艦をやり直す事が出来ず、艦首に前に着艦して収容されている飛行機を保護する為に接置されているバリケードに衝突して止まる外はない。この様なことになれば飛行機は勿論壊れるし、後続の着艦作業にも支障来すことになる。その為には第四旋回後着艦までの進入角度を完全に維持し、飛行機を沈める感じで、エンジンで引き張る様な感じで艦尾まで持ってきて、艦尾をかわったらエンジンを絞り、グイと操縦かんを引き、前輪と尾輪を同時に甲板に着ける、いわゆる三点着陸が必要でこれが出来れば、フックはワイヤーに懸かり着艦ができるのである。
 仮に、進入角度を合わせるため、機首を下げた姿勢で着艦しようとすれば、艦尾をかわってエンジンを絞り、引き起こして着艦しようとしても飛行機はグライダーのようになり、バルーニング状態になり浮き上がりフックがワイヤーに懸かからず着艦を失敗する事になる。  これは重大な結果をもたらすので、母艦所属の搭乗員はこの非常に難かしい操作を身に付けるため訓練に訓練を重ね、この技術をマスターして初めてどうやら使える母艦所属の搭乗員となるのである。
 私の岩国空、徳島空での約三ケ月の訓練は将にこの為の訓練であったが、その結果を試すことの出来ない儘終わってしまったことは、返す返すも残念であった。