或る零戦乗りの2年間

 父は亡くなる三年前に、喜寿を記念した小冊子を発行し、戦争中の想い出を書き綴っていた。
 亡くなる十年ほど前だったか、家族で沖縄旅行を計画した際に、父だけは留守番をすると言って、頑なに沖縄行きを拒んだ。
 理由を聞くと、言葉少なに「沖縄戦で亡くなった戦友を思い出すので、つらくて沖縄には行くことはできない。」そう言って、一生沖縄の地を踏むことはなかった。 今、この冊子を読み返し、少しはその気持ちが分かった気がする。
 共に出征し、訓練を受け、桜花で敵機動部隊に特攻をかけ戦死したクラスメイト、沖縄戦で次々に特攻で戦死していく友たち。
 別れを告げて出撃してゆく特攻隊員の周りには、彼らを見送り、ただ手を振ることしかできない人達も沢山いたのだ。 私の父もまた見送る側の一人だった。
 この死地に赴く人を見送り、自分は生き残ってしまった人達の思いも、その後の人生に大きな影響を与えたことだろう。 きっと彼らの覚悟もまた敗戦国日本の復興の礎となったに違いない。
 この文章を公開するにあたり、ここに、祖国の為の一念で命を捧げて下さった英霊、今日の礎を築いて戴いた御霊に深く哀悼の意を捧げるものです。
                                         2015年冬

            注記:出典資料(1)
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