或る零戦乗りの2年間

 昭和18年9月30日茨城県にある土浦海軍航空隊に入隊し、二ケ月の基礎教程を受けた者は2600名であった。
 その基礎教程を終了し、さらに赤トンボ複葉練習機での飛行訓練に入つた者は405名。
 その中の162名がJR友部駅に程近い筑波海軍航空隊で約四ケ月の練習機訓練を受けた。
 そこから更に戦闘機操縦専修に進む者は110名、第二分隊と第五分隊の各55名に分かれ、私は第五分隊に所属した。
 昭和19年4月1日から、戦闘機特修教程を一時、大分航空隊で行い、再び筑波海軍航空隊に帰り、昭和19年7月26日の卒業まで零戦による戦闘機特修を行った。
 この間の生活や訓練の様子は同期の陰山慶一著「海軍飛行予備学生よもやま物語」に詳細にまとめられているので、そちらに譲る。