或る零戦乗りの2年間

  昭和20年に入って間もないころ、特殊潜航艇が海中を潜行して敵艦を攻撃するのと同じように、空中から頭部に約1トンの爆薬を装備し、若干の推進能力を持つ火薬ロケツトを後尾につけ、人間が操縦しながら敵艦に体当り攻撃を行う有人飛行爆弾、通称「丸大」とも云うものが開発されたことを知った。
 この「丸大」が後に「桜花」と命名される訳であるが、何故当時「丸大」と云ったかと云うと、飛行場には、固定した建物で何時も風向表示の吹流しを掲げている監視用のベランダを巡らした二階建ての中央指令所の外に、当日飛行作業をする位置の芝生の上に隊長や教官用の折り畳み式の肘掛け椅子をならべ、傍らに見張り用の双眼鏡と搭乗割を書いた黒板を置いた指揮所があった。
 搭乗員はこの搭乗割に従ってその日の訓練を行ない、実戦に出るときも中央指令所の黒板に記入された搭乗割に従って出撃をしたのである。 その搭乗割の記入の方法が準士官以上は丸の中に苗字の頭文字の一字を書く。これが下士官の場合は丸が三角になり、兵隊の場合は苗字の頭文字の一字の上に横に棒を引いて表示していた。
 この様なことで、この特攻兵器は「大」の字が頭につく苗字の準士官以上の方が発案して開発されたので「丸大」と初め呼ばれていたのである。
 この「丸大」こと「桜花」は神雷部隊として一式陸上攻撃機に搭載され、敵艦隊に接近するや母機より離され、桜花搭乗員は目標敵艦を目視で捉えながら操縦して体当り攻撃を加え九州南方海上で戦果を挙げたことは有名である。
 私は何かの任務で百里原航空基地に赴いたとき、この「桜花」とそこの格納庫で対面した。
 大きな魚雷の前から三分の一位に約2m位の両翼と後部に水平尾翼とこの水平尾翼の両端に垂直尾翼をつけた簡単な構造で、操縦席は機体の中央やや後方にあり風防ガラスに覆われていて、半分寝た姿勢で操縦する様になっていて、操縦桿とフットバ-の外は、計器が高度計、速度計、羅針盤がついている程度で、前輪も後輪もない将に人間爆弾そのものの感じであった。
 私は、ここで工専のクラスメイトで久留米駅頭で共に学友達から歓呼の声で送られた同期の友、楠本二三夫(20年5月14日、第十一建武隊として種子島東方の敵機動部隊に特攻をかけ戦死)と会うことができた。 中練で一諸に訓練を受けた後、久しぶりの再会であった。
 彼は721空桜花隊で既に「桜花」で二回程の滑空の経験をしたと言っていて、既に特攻隊員として覚悟している様で、僅かな時間、普通の世間話をして別れたが、なんとなく寂しそうな彼の顔が50年後の今日でも思い出される。