或る零戦乗りの2年間

 

「起稿にあたり」

 私にとって、西暦2000年の記念すべき年は、同時に喜寿を迎える記念すべき年にもなった。  そこで、自分が今日ここに在るのは「如何?」と過ぎ去りし七十七年を顧みて自問するとき、先の太平洋戦争に零式艦上戦闘機の操縦士として過ごした約二年間の体 ...

第1話 「十三期飛行予備学生」

 昭和18年9月30日茨城県にある土浦海軍航空隊に入隊し、二ケ月の基礎教程を受けた者は2600名であった。  その基礎教程を終了し、さらに赤トンボ複葉練習機での飛行訓練に入つた者は405名。  その中の162名がJR友部駅に程近い筑波海軍航 ...

第2話 「実施部隊へ配属時の実戦航空部隊の編成」

 当時のわが国海軍の実戦航空部隊の編成は、基地航空部隊と空母航空部隊に大別されていた。  昭和18年に入って、南太平洋の戦況は厳しくなり、航空消耗戦の様相を呈してきた。多数の搭乗員を失い、補給も間に合わず、戦力は急速に低下の一途をたどった。 ...

第3話 「実施部隊松山空一航戦への初着任」

 筑波空戦闘機特修で第五分隊から私を含めた四名と、第二分隊と元山空で戦闘機特修した同期の総員12名が、空母要員として、松山海軍航空隊にいた第三艦隊の一航戦への赴任を命ぜられたのであった。  実施部隊に赴任するにあたり、一日の休暇が与えられた ...

第4話 「岩国空四航戦での訓練」

 私を含めた同期の三名は松山空で一回か二回の離着陸訓練を行ったただけで、日ならずして 昭和19年8月上旬、岩国飛行場で訓練中の4航戦の戦闘163、戦闘165に転勤になり、この岩国で本格的な訓練に入った。定着訓練を主体に編隊による高度な空中動 ...

第5話 「徳島空の訓練」

 昭和19年8月上旬から10月初め頃まで岩国で訓練して後、徳島空で引き続き訓練に継ぐ訓練を行った。  徳島空では、岩国空で332空が基地航空隊として居座つていたのと同じ様に、偵察員教育を目的とした偵察機上練習機「白菊」が陣取つていた。  こ ...

第6話 「龍鳳での実技見学」

 昭和19年10月下旬、母艦「龍鳳」に一泊した翌日、快晴ではないが、天気はまずまずの中、紀伊水道沖に停泊していた「龍鳳」は定刻になると、洋上に出て訓練海域に達し、いよいよ始まる離着艦に備えた。  我々見学者は甲板サイドやや中央の艦橋に上がり ...

第7話 「航空母艦部隊の消滅」

 徳島空に戻り、連日、何時になったら、母艦を使つた訓練に臨めるかと思いながら、さらに訓練を続けていたところ、昭和19年10月半ば過ぎと記憶するが、霞ヶ浦の一空廠に、新造の零戦52型が五機整備されたので、試飛行を兼ねて一機取りに行くように指示 ...

第8話 「混乱時代」

 ここで、混乱時代と名を付けたのは、当時はその様に感じ無かったが、後で振り返ると、海軍の上層部も随分混乱していたと想われるからである。  私は故郷の熊本へ今度帰る時は白木の箱に入っての事だろうと思い、一日余裕を貰って、祖母、父母、兄弟に別れ ...

第9話 「幻の村二番目の軍神」

 私は熊本県の農家の次男として、大正12年に生まれた。  学齢期になって、尋常高等小学校に当然の様に進み、約40名足らずの男子のみのクラスの児童の一員として六年間を過ごして後、約一里ほど離れた隣町の中学校に五年間通学した。昭和16年4月から ...

第10話 「神町空の半月」

 昭和19年12月中旬、東北本線に上野より乗り、夜行列車は夜半を過ぎるころ、福島と山形の県境の峠にさしかかかった。車内は、さすがに冷えこんできて、南国育ちの身には堪えて先が思いやられていたが、雪国の厳しさは、実はまだ序の口であった。  駅に ...

第11話 「桜花特別攻撃機」

  昭和20年に入って間もないころ、特殊潜航艇が海中を潜行して敵艦を攻撃するのと同じように、空中から頭部に約1トンの爆薬を装備し、若干の推進能力を持つ火薬ロケツトを後尾につけ、人間が操縦しながら敵艦に体当り攻撃を行う有人飛行爆弾、通称「丸大 ...

第12話 「雷電と紫電」

 私は実弾射撃の曳的機で吹流しを引張った時に、97式艦上攻撃機を操縦したこと以外は、終始零戦の搭乗員として過ごした。そのため「雷電」や「紫電」については搭乗経験はない。  昭和19年11月以降、航空母艦が殆ど無くなり、機動部隊が解散した後は ...

第13話 「慣れと狎れ」

 飛行機の操縦で事故を起こしたり、敵にやられたりするのが、一番多いのは、操縦搭乗時間が零戦の場合、約300時間から400時間と云われていた。  それは少し操縦に自信が出てきて天狗になりかかった時期が、これくらいの搭乗時間を経験した頃と言われ ...

第14話 「千人針とお守り」

 「橋の袂に街角に千人針の人の波」と、当時、歌にも歌われたこの千人針とはどんな物か、戦後半世紀も過ぎれば忘れ去られるばかりか、どんな物か最初から知らない人達が多いと思う。  千人針は、白い晒しの木綿に普通の大きさの毛筆の柄の方に珠肉をつけ、 ...

第15話 「教官勤務と当直勤務」

 私は昭和19年12月初旬に母艦航空隊の4航戦(634空)の残留部隊から、俗に云う捨子の様な状態で盥回しにされて、谷田部空にて昭和19年の暮は過ごした。  この時期は前記のとおり、あちらの航空隊をこちらの航空隊に移したり、こちらの航空隊をあ ...

第16話 「関東に敵機動部隊の来襲」

 昭和20年2月16日~17日、敵機動部隊(正式空母二隻、軽空母五隻を基幹とする五群)の空母より飛び立った艦載機(F6Fが主体)が初めて日本本土に来襲した。  これを邀撃したのは横須賀軍港と横須賀鎮守府管理空域の防衛任務を持つ厚木基地の30 ...

第17話 「B-29と焼夷弾」

 初めて焼夷弾の洗礼を受けたのは、同僚と昭和19年12月10日頃、谷田部空から赴任先が違うと云われて、山形の神町空に向かうため、上野駅で列車を待って時間潰しに公園横を二人で歩いていたときの事である。  夕方の19:00頃、空襲警報のサイレン ...

第18話 「神風昭和特別攻撃隊」

 特別攻撃隊については、比島における昭和19年10月21日、爆装零戦にてレイテ湾東方の敵に対し、体当り攻撃を敢行された久納中尉(予学11期、大和隊)に始まり、関大尉(海兵70期、敷島隊)と続き、以後、航空機による敵艦船への攻撃の主体は、この ...

第19話 「散る桜、残る桜も散る桜」

 私の僅かな、そして貴重な記念として残っている、昭和20年4月頃の谷田部空のスナツプ写真には、そのバツクに咲き誇った桜の花がある。  この年の3月中旬、日本国々土、硫黄島の守備隊が死闘を繰り返しながら、善戦これ努めたが、遂に玉砕し、3月下旬 ...

第20話 「特攻機の補給」

 昭和20年4月中旬、沖縄方面への特攻基地である鹿屋基地も相次ぐ特攻出撃に搭乗員と共に特攻を掛ける飛行機も次第に少なくなっている時、出撃間際の爆装零戦が敵のグラマンに急襲を受け6機が爆破炎上した。  この飛行機は谷田部空で編成された神風特別 ...

第21話 「飛行機集め」

 谷田部空は実用機(零戦)の教育訓練の航空隊であったが、何時の頃からか中練の飛行訓練も行なわれる様になり、私はその担当もした。  その傍ら色々な仕事を命じられた。当時としては色々こなせる搭乗員も数少なくなっていて、自分で云うのもはばかられる ...

第22話 「飛行機と搭乗員の温存と【決号作戦】」

 昭和20年4月1日米軍の沖縄本島への上陸以降、6月23日沖縄日本軍の玉砕までの間、沖縄及びその周辺の敵艦船に対して特別攻撃を行った零戦の数をある記録で調べると、総数346機(内訳21型186機、52型137機、練戦23機)となり、一日平均 ...

第23話 「終戦の詔勅と復員」

 昭和20年8月14日午後、「明十五日正午、重大放送があるので、全隊員は本部前の号令台前に集合せよ!」との達示があった。  唯、撃ちてし止まぬ、との決意のみが頭にあり、一歩たりとも本土に驕敵を上陸させ事はできない、との信念で基より自分の身の ...