或る零戦乗りの2年間

 戦前、大日本帝国海軍において、イギリスの制度をまねて有事の際に招集されて軍務に服する海軍予備員制度が設けられた。
 その中でも、飛行科予備学生の採用は昭和9年の第1期に始まり昭和19年の第14期まで続き、太平洋戦争開戦後は、学徒出陣した大学生・専門学校生徒等の採用が急増し、特に士官が不足していた昭和18年の第13期では5000人を超える大量採用が行われた。
 私の父は大正12年(1923年)に生まれ、昭和18年(1943年)、20歳で13期飛行予備学生として入隊し、航空母艦から発艦し着艦する訓練にあけくれたが、ついに終戦まで空母からの出撃が叶うことはなかった。
 これは、零戦操縦士としての本分を果たせなかった父の想い出の記である。