或る零戦乗りの2年間

 昭和20年2月16日~17日、敵機動部隊(正式空母二隻、軽空母五隻を基幹とする五群)の空母より飛び立った艦載機(F6Fが主体)が初めて日本本土に来襲した。  これを邀撃したのは横須賀軍港と横須賀鎮守府管理空域の防衛任務を持つ厚木基地の302空を中核として、横須賀空、三航艦所属の210空で筑波、茂原に待機していた部隊、同じく3航艦所属の館山、茂原基地の252空、及び香取、茂原基地に展開していた601空と11聯空所属の筑波、谷田部空の戦闘機操縦教育を担当していた教官、教員であった。  前にも述べたが、谷田部空は終戦まで艦戦実用機教育が任務であり、自分も何時の間にか14期予備学生と1期予備生徒の教官をする様になり、その合間に錬成飛行を行っていて、当時はチ-ムを組んだ編成も決まっていなかった。
 従って、実戦用の零戦も各人に行き渡るだけの数もなく共用していたので、自分専用の飛行機と云う物がなく、この時も早いもの勝ちに、バラバラに飛び上がって大体筑波山上空待機と云うことて命令が出された。
 飛行機の数も少なく古い者から十数名の教官、教員が飛びあがった。  三航艦に所属する部隊にいた同期の者は何人かこの戦いに参加し、中には武運つたなく戦死した者もいた。
 谷田部空は当時前述した様に11聯空の所属であり、我々、13期の教官までは割当がなく、海兵71期と予学11期の何名かと経験の古い下士官の教員の何人かが割当てられる状態で、残念ながら私は初陣を飾ることができなかった。
 この時の戦いは敵艦載機の来襲に対して関東地方に基地を持つ海、陸空軍の総力を挙げる戦いであり、自分の頭上の戦いでもあるので戦況が良く見えた。
 大空は敵、味方入り乱れた乱戦で無数の飛行雲に覆われ、随所に遭遇戦が目撃されたが、この戦いは味方機の方が数量の上でも上回り16日~17日の2日に渡り行われたが、2日目には朝から昨日と同じく飛行雲を画きながら索敵しながらの飛行がなされたが、敵機の姿も見えなくなった。
 「何処をみても友軍機、敵機を見ず」との通信が各機から入電される様になり、敵機動部隊も太平洋上を遥かに去った模様で、我が軍の成功であった。  しかし、この戦いで、我が方の犠牲者も少なくなく、谷田部空でも四名の貴い戦死者がでた。その中に先輩の松浦中尉(11期予学、静岡県出身)も含まれて居られた。

 ・・・・・・  この時の模様の一場面を描写すると、 ・・・・・・
 筑波山上空待機で谷田部空の零戦は各自それぞれ準備の出来た飛行機から飛び上がったので、地上から我々は筑波山の上空を特に注意して見ていた。
 するとキラリと光るものが見えた瞬間、敵の米国海軍の艦載戦闘機F6Fを発見した零戦の一機がこれを追跡して機銃を発射した白い曳光弾の条が見えた。
 私は思わず・・・「やった!」 と叫んだ。 敵機は機銃の発射で気が付いたか、急に降下して急旋回して逃げだした。 零戦はなおも食い下がって追いかけている。
 この時零戦の上空に、またキラリと光る物が見えたと思うとこれが、敵のF6Fで敵を追いかけている零戦に斜め後方から落ちる様に襲いかかっている。 私はまた、突差に・・・「逃げろ!」と叫んだ。
 零戦は、まだ気が付いていない、自分の傍らにいた整備の兵隊も一諸になって、 ・・・「逃げろ! 逃げろ!」 と叫んだ。 零戦は後から追撃されていることに、やっと気が付いて横滑りしながら筑波山の山裾まで逃げた。
 敵機は途中から追いかけるのを止めてこれも避退して見えなくなった。ほんの数秒の出来事であった。 私は・・・「ホオー!」とした。 「ホオー!」とした瞬間、今度は零戦の一機が飛行場に斜めに着陸してきたかと思うと、そのまま、私のいるエプロンの方へ風防をあけて、身を乗り出す様にして、両翼を指差しながらやって来た、梅本中尉機(海兵七一期)である。
 敵機と遭遇されて、相当、奮戦された後がその血走った目とお顔からも見て取れた。 機銃の弾丸を撃ち尽くしたので降りて来たので、急いで弾丸を積んでくれ、弾丸を積んだらすぐ出るとのこと、整備の者と一諸に弾丸を補充した。機体にも何か所か、敵の弾丸の跡があったが、支障のある様な傷ではなかったので、すぐまた飛び出されて奮戦され無事に帰投された。
 また、この戦いは色々なことがあった。  水戸上空で陸軍の高射砲隊が誤って味方機を敵機と思い、見事命中させ撃ち落して地上で拍手喝采したが、あとで友軍機と判った。幸い搭乗員は落下傘で降下して助かって無事でありよかったものの、戦死でもしていたら大変なことになるところであった。
 また、ある所では、土地の人が「日本人は絶対に落下傘などは使わないものだ」と教えられていて、その上、飛行服、飛行帽を身につけていると初めて遭遇すれば、敵か味方か判らず落下傘降下をして木に引き架かり、もがいていたら猟銃で撃たれたり、竹槍で突かれたりした事件が起きた。  これから、飛行服の腕から帽子から靴からライフジャケツトに至るまで日の丸のマ-クを付けることとなった。 ・・・・・